ぷん太郎友人帳

好きなことを気ままに綴ります

はじめまして〜社会人

こんにちは。ぷん太郎です。

ようやく社会人〜今ですね。

 

四回生ギリギリまでサークルにのめり込み、就活をマイペースにやっていたため、

12月まで決まりませんでした。

働いて稼ぎたいみたいな感覚はなく、

プライベートが充実すればそれでいいかな、

なんて思っていたのですが、

社会ってそんなに甘くないですね。

入った会社では後悔しました。

残業が多いし、やること多すぎるし、肉体労働も多いし、賞与もないし

輝いて働くことを想像していたのですが、負の側面しかみえなくなってしまいました。

かたや、大手企業で働いている人は給料もいいし、楽しそうだし、いい大学まで出させてもらって、自分何やってんだろう…。

そんな感覚に蝕まれる毎日でした。

上手くこなせない自分。自己肯定感が低くなり、心療内科に通うことに…。

 

次々と先輩たちも辞めていき、コロナ禍ではありましたが、4年目に入って、転職を決意。

3ヶ月の離職期間を経て新しい会社に就職。

基本給はそんなに変わらないですが、ちゃんと賞与もでて、安定しているメーカーへ就職。

ここが満たされればきっと不満も無くなるだろうなんて思っていました。

けど、またまた甘かったですね。

入ってみるとなんだか違和感。

業界の雰囲気、会社の特有の体育会系の雰囲気がいまいちしっくりこない。

最初だからそんなものかと思っていましたが、

毎日怒鳴られるような日々。

仕事をできない自分が悪いんだと思いましたが、

このまま続けると精神がおかしくなる。

このまま何十年もこの人たちといると思うと無理だ…。なんのために働いているんだろう。

そう感じてしまい、短い期間で離職。

せっかく心療内科に通わなくて済んだのに、

また通うことに。

 

幸いというか、紆余曲折あり、前の会社に戻ることができ、今また働き始めています。

両親からはかなり心配されました。

残業が多かったり休日出勤が多かったり、2社目の方が安定してるよ、と。

ただ、最後には自分の人生だから自分で決めなさいとは言ってくれました。

 

自分に足らないのはきっと覚悟なんだと思います。

不満なことなんてみんな抱えているのに、

自分1人だけ…みたいな感覚に陥りやすいんですよね。

辛いことを乗り越えないと仕事がつとまらないのはわかるのですが、

プレッシャーにめっぽう弱く、

苦しくなって、動悸がして、夜も寝られず、

朝は頭がぐるぐるした状態で起きる。

 

何なら自分はできるのでしょうか。

自問自答の日々です。

はじめまして〜大学時代

こんにちは。ぷん太郎です。

今回は大学時代です。

 

浪人して入れたのが立命館大学

両親からは喜ばれました。

が、ここで立ちはだかった壁がまたもや母。

「名古屋から新幹線で通いなさい。」

てっきり一人暮らしができるものだと思っていたので、喧嘩になりました。

 

一人暮らしする方がお金がかかるという理由です。

仕方なく新幹線で通いました。最初は嫌でしたが、新幹線通学が物珍しいため、これを理由に友達ができました。

ただ、やはり通学に時間がかかるし、新幹線だと時間や本数が限られているため、

一回生のうちはサークルには入れませんでした。

二回生になってようやくリズムに慣れてきたこともあり、サークルへの入部を決意。

今思えばサークル活動なんて自分の好きなタイミングで入って好きなサイクルでやればいいものなのにね。

でも、二回生で入ったからこそ、今の人間関係がある。

そう思えるくらいにサークルに入ってよかったと感じました。

肝心な何サークルに入ったかですよね。

…アカペラサークルに入りました。

音楽が好きだったこと、合唱部の経験を生かしたかったことを理由に入りました。

でも世界は広かったです。

世の中にはこんなに歌が上手い人がいるんだ。

同じ音楽でも、歌い方やパフォーマンスが全然違い、だんだんとのめり込みました。

同時に「世の中にはいろんな人がいるなぁ。」

少し遅いですが、そう感じました。

疎遠になってる人もいますが、それでも同期はほんとにいい奴ばかりで、この関係が終わるのは惜しいなぁと今でも感じます。

 

 

はじめまして〜高校時代

こんにちは。ぷん太郎です。

今回は高校時代です。

 

高校は県内ではそこそこの私立高校に進学しました。

この高校に受かったら公立受験はチャレンジしようと思っていたら見事に落ちました。笑

 

進んだ高校へは自分の中学からは僕1人だったので、それはそれは心細かったです。

部活は合唱部に入りました。

こんなことを言っては合唱部の子には失礼ですが、いわゆる陰キャです。

クラスメイトとも差し障りなく付き合い、

部活内の友達と仲良くする。そんな感じです。

入部のキッカケは同じ苗字の先輩からの猛アピール。

この頃はバレーボールにも興味があり、悩みました。

ただ、母からは反対されました。

そもそもバレーボール部がなく、クラブチームに入るほかなかったこと、エレクトーンを続けていたこともあり、指を怪我しやすいバレーボールは危険ということが理由です。

 

この頃から母とあまり口をきかなくなりましたね。

どこの家庭もそんなものですかね。

どうせ言ったところで否定される。

子どものことを思ってだとは思うのですが、難しいですね。親子関係。

 

さて、高校の部活の話に戻ります。

1年生の時はあまり真剣にやらず、顧問がかなり厳しかったため、辞めることだけを考えていました。何かしらの理由をつけて休みがちでした。

また誘ってくれた苗字の同じ先輩も、そういう態度だったため、教えてもらうこともできませんでした。

良くないですよね、自分。

2年生になるとようやく面白さがわかってきて、仲のいい後輩もできました。

全国大会出場を目指していましたが、進むことはできませんでした。

部活を理由に勉強も中途半端にやっていたため、浪人をしました。

ほんとに性根が腐ってますよね。

極端にめんどくさいことが嫌いで、自分の好きなことしかやりたくない。

なかなかのモンスターだと思います。

 

 

はじめまして〜中学生時代

こんにちは。ぷん太郎です。

今回は中学時代です。

前回の内容を踏まえた内容なので、

話が繋がらない人は前回のを読んでくださいね。

 

中学に入ると、習い事はエレクトーンだけを残し、新たに塾に通い始めました。

塾はかなりスパルタで、順位で席順が決まりました。

AクラスBクラスに分かれるのですが、

僕はAとBを行ったり来たりしていました。

いわゆる「そこそこ」の頭でした。

校内のテストでは学年の2割に入るくらいでしたかね。

 

また、エレクトーンをやっていたこともあり、合唱コンクールでは3年間伴奏でした。

声を発することはありませんでした。笑

 

そうそう、部活は陸上と吹奏楽で迷ったんだけど、陸上にしました。健康目的のね。

 

吹奏楽の顧問からは猛アタックがあったけど、断ったので、合唱コンクールで伴奏したら5にしてくれる暗黙の了解が崩れて、4だった時があります。ひどい。

音楽の先生ってなんだか曲者が多くて、

個人的な感情で生きてるイメージありませんか?特に男性だと特に。

(すみません、性差別的な表現は避けたいのですが、お許しを…。)

 

中学でも、2年生までは学級委員をやっていましたが、この頃起きたトラブルのせいで、

目立つことが苦手になってしまいました。

いわゆる「いじめ」にあってしまったんですね。

内容は少し書き綴るのに恥ずかしいため、

控えますが、今まで口をきいてくれていたクラスの友達が一気に口を聞いてくれなくなりました。

ここが第一の厄ですね。

もうほんとに学校に行くのが嫌でしたよ。

今までの関係が一気に崩れて、死にたくなりました。

「学校行きたくない。」

急に言い出したため、親も心配していたのを覚えています。

ただ嫌でも行きましたが。

幸い、夏休み前だったため、クラスメイトに会う機会も少なく、

人の噂も75日という諺がありますが、

それを信じて日々過ごしていました。

 

当時は仲良くしてくれていた人たちでしたが、

今考えると全く繋がりもなく、

「本当に」仲良くしていた人たちとは今でも付き合いがあり、なかなか不思議なものだなぁと感じます。

あの時落ち込んでいたことがバカみたいに今では感じます。

ただ、中学生とはいえ、まだ思考も発達してないし、ウザい・キモいを排除する感じは思春期特有で、当時の自分にはどうすることもできなかったんでしょうね。

 

そんなわけで中学時代は厄有りでつらかったです。

でも今でも地元にいるおかげで、

信頼できる友人達とは交流があり、

つるんでくれる仲間を大切にしたいなと思います。

 

 

はじめまして。〜小学生時代

はじめまして。

ぷん太郎と言います。

 

こう言った類のブログ・日記は

あまり書いたことがなく、初心者です。

(とは言ったものの、高校生の時にはアメブロmixiはやっていました。)

自分の感じたことや気持ちを整理・記録するということをしばらくやってこなかったので、

マイペースに始めてみようかと思います。

内容に統一感がないとは思いますが、

気ままに綴ります。

マイナスなことも呟くと思いますが、

読むと気が滅入る人はご退出くださいね。

 

 

今日は、まず「私」という人間について

愛知県名古屋市出身のアラサー男子です。

(男子という歳でもないですね笑)

名古屋出身の母と大阪出身の父のもとに生まれました。

自分で言うのもなんですが、

めちゃくちゃ可愛がられました。笑

 

というのも、父方の祖母がチラっと言っていましたが、両親が結婚してからしばらく、子どもを授かることがなく、やっと生まれた男の子という背景があるみたいです。

 

一方、母方側も、母含め3人兄妹なのですが、

伯父一家は女2人、伯母は未婚と言うこともあり、祖母にとっては男児が生まれたことが、とても嬉しかったんでしょうね。

 

さて、幼少期は母方の祖父母にお世話になることが多かったです。

というのも、両親が共働きのため、仕事が終わるまで預けられていました。

今考えると周りに女性がいる環境が多かったように思います。

遊び相手は伯父家の娘2人、小学生の時も男女分け隔てなく遊び、どちらかというと女性と過ごす時間が長かったように思います。

それを理由にしてしまうのは良くないですが、

女々しい男になってしまいました。

母方祖父は、いわゆる亭主関白気質があったため、弱い男は認めないみたいな感じで、

自分とは反りが合わないように思いました。

嫌いという訳ではないですがね。

祖父母の家には大きな庭があり、蜂が飛んでくることがあったのですが、蚊の如く素手でぶっ叩いていたのを覚えています。笑

父は小4に進級する頃に関東へ単身赴任になりました。

28歳になった今でも東京にいるので、かれこれ20年になるので、人生の2/3は父と離れて暮らしてますね。

 

この頃は習い事も忙しかったように記憶してます。

月曜日→エレクトーン、公文

火曜日→硬筆お習字

水曜日→休

木曜日→毛筆お習字

金曜日→公文

土曜日→スイミング

これだけ習い事させてもらっていましたが、

正直やりたいからやっていたという感じではありません。

スイミングも辞める直前はサボり気味だったし。

…でもエレクトーンは好きだったかな。

20年も前のことなので、そういう記憶になってますが、当時はもしかしたら好きだったのかな。

後悔があるとするなら、球技に触れてこなかったこと。

おかげで球関連はボロボロです…。笑

 

小学生の時は前期後期のどちらかは学級委員をやっており、目立つことが好きでしたね。

学級委員は前期後期どちらか一期のみしかできないため、もう一期は放送委員をやることが多かったです。いわゆる十八番のパターンですね。

まず初めに今月の子どもの歌(NHKかな?)をかけてから、自分の好きな曲をかける。

なんというか、校内を自分の好きな音楽で満たすことで、優越感にでも浸りたかったのですかね。

 

小学生の頃は何が好きだったかなぁ…。

ポケモンハム太郎ミルモでポン、ディズニー。

やっぱり見てるものが女の子みたいですよね。

アイドルは嵐とモー娘。ですね。

母の嵐好きに感化されてました。

女子バレーボールの中継をきっかけにバレーボールにも興味がありました。

梅干しボール(←伝わりますか?笑)を伯母にトスをあげてもらってスパイクを打ってましたね。

ペット…というと少し違いますが、金魚を3匹育ててました。お祭りですくってきた金魚なのですが、これが思いのほか長生きして、10年くらい生きてました。年を重ねるにつれてウロコが剥がれて、黒デメキンは黒じゃなくなり、ランチュウは脳みその部分がめちゃくちゃ膨れ上がってました。

 

今日はこんなところで締めたいと思います。